その日は突然にやってきた。某百貨店建装部の事業撤退の日である。その日の翌日から営業中止つまり受注中止である。営業担当者にとって「営業するな、受注するな」というのは、仕事をするなというのと同じ意味である。報告を受けた瞬間は何を言われているのか理解できず、ただ「何かが終わった」という思いが頭の中で浮かび上がったにすぎなかった。私は建装推進課なる部署にいたので次の日から仕事が180度変わるということはなかったが、仕事の内容が受注推進ではなく、撤退の推進に変わったことはまちがいなかった。
それは2004年の手帳をみると8月6日(金)の午後に社員説明会開催「撤退」と書かれているので多分その日に正式な説明会が開かれたと思う。2002年に退職届を提出して止められていた私にとっては退職転職の日がとうとう来たとしか思えなかった。ところが私のその日は2005年の9月までやってこなかった。
事業撤退が決まってからは定時に帰宅する日が続いた。それまでは休みも取れない仕事中毒のような日常を送っていたので自分の時間が増えて時間を持て余すようになった。退職届を受理はされていたが退職日を延長されていたので、「そろそろ退職日を決めてください」と会社に申し入れたが、担当役員からは「事業終息によって法的社会的に会社がお客様に対して果たすべき責任を果たせる体制を君には作ってもらわなければならない」という指示がでて、一番先に退職できると思っていたにもかかわらず、退職する条件を与えられてしまった。
建築設計工事などの仕事に限界を感じ始めていた私は、以前からあこがれていた土地家屋調査士を目指してみようかと思い、2004年の年明けに通信教育講座に申込みをして勉強を始めていたのだが、段ボール2個に教材が山のように送られてきて内容をみると受験できるまでにしなければならない勉強時間の目安が≒500時間とあり、毎日2時間勉強して土日に集中的にやっても2004年の8月22日の試験には間に合わず、あきらめかけていた。しかし、これからは時間が取れるのを幸いに本格的に勉強を始める気持ちになった。今の自分に嫌気がさし仕事に意欲を失いかけていたこともあり、新しいことを始めて自分を変えたかった。
翌年2005年の8月の試験をめざして本格的に勉強を始めようとした私は、夜間の専門学校に入学して本格的に勉強することにした。約10か月間、週2日は夕方7時から10時まで授業を受け、日曜日は毎週模擬試験を受けるという日が続いた。幸い同じ年代の受講者が3人いてすぐに友達になり、最初は何を言っているのか専門用語がわからなかったが、少しずつ理解出来るようになり毎日が充実したものになっていった。
しかし、模擬試験の点数はなかなか上がらず合格ラインは見えなかった。合格率が5%~10%という資格試験でもあり50歳を超えてから受験するには難しすぎる試験かと思った。民法と不動産登記法の講義をしてくれていた弁護士でもある校長先生の講義が面白くなっていたので一番前の席にいつも座ってなにかと質問をしたりして講義を楽しんでいるうちに、あっという間に2005年の6月頃にはほとんどのカリキュラムが終了してしまい、8月の本試験にむけての特訓が7月に始まった。
その頃、会社の担当役員から与えられていた「会社の社会的責任を果たせる仕組みづくり」もほぼ完成し、担当役員が7月末で突然退社ということになり、私にも会社の本部人事担当から突然呼び出しをうけて、「退社してください」という要請があり、会社と仕事どころではなくなっていた。
しかし、模擬試験では合格ラインにもう少しという感じだったので、受験前の特訓合宿に参加することにした。箱根の湖のほとりで5日間ほとんど外出せずに朝から夜中まで集中講義と模擬試験答案練習の繰り返しでまさにこの歳で受験生かと自分でも呆れていた。
しかし、受験の神様はほほえんではくれなかった。2005年8月21日(日)の試験では無残にも合格はならなかった。一緒に勉強してきた3人も不合格となり試験当日の夜に専門学校で集まって回答速報説明会では、4人で来年の再受験をめざしてまた1年間頑張ることを誓った。
それからの1年間は、10月1日にJTB商事への入社したことで勉強は二の次になりかけていた。でも日曜日の答案練習会には毎週かかさず学校に通うことにした。それまでやってきた教材を繰り返し読み続けることで覚えたことを忘れないようにするのが精いっぱいという状況。2006年8月の一次試験に合格し11月6日に二次試験を終えて最終合格発表があった時は大学受験合格の時よりもその喜びは大きかったように思う。仲間もその年に2人合格し翌年に残りの1人も合格し4人全員があきらめることなく合格して、2人はすぐに土地家屋調査士事務所を開設して独立開業を果たして順調に伸びているようである。
土地調査士になれたことは直接の業務には役に立っているのかと問われると不動産登記業務を行っていないので当然役には立っていない。資格マニアではないのかといわれるかもしれないが、不動産登記簿謄本が読めるようになりたいというきっかけからはじめて法律の面白さや奥深さをほんの少しだが知りえたこと、そして同じ目的に向かって一緒に勉強した仲間が生涯の友なったことは間違いない。
執行役員建装担当 菅原 健二